前回
2017.5.29
三平峠を越えると景観は、一変する
辺り一面にあった残雪は、消え 鬱蒼とした新緑の世界
多数の沢が、雪解けを集めて急流の片品川に
尾瀬かもしか村で、絶品山菜の天ぷらと手打ち蕎麦
土産が、尾瀬の壮観を甦えさせる
動画編
タイムライン
別名:尾瀬峠
群馬県の沼田市から、尾瀬沼を通って福島県の会津若松へ至る道は、
群馬側からは会津街道、福島側からは沼田街道と呼ばれ、
その昔会津と上州を結ぶ交易路とされていました
交易が盛んに行われていたのは、徳川時代のことで、
初代沼田城主の真田信幸が戸倉に関所を設けたのち、路の整備を行ったとされています。交易された物資は、会津側からは米や酒、上州側からは油や塩・
日用雑貨などで、尾瀬沼のほとりの三平下のあたりで中継されていました。
また、幕末の戊辰戦争(1868年)の際には会津軍と征東軍が会戦しますが、最後まで抵抗した会津軍は、沼田街道を通って征東軍が侵攻してくることに備え、大江湿原に防塁を築きました。その名残りが現在でも大江湿原に
馬蹄型として見られますが、結局は会津軍は尾瀬を越え、戸倉で交戦になったため、この防塁が使われることはありませんでした
針葉樹から広葉樹へと標高が、低くなるのが分かる頃 「岩清水」
この湧き水で口を潤し、熱った顔を冷やしながら、休憩
地元では「一杯清水」と呼んでいるようで、命の湧き水
さぁ「十二曲がり」とも呼ばれる登山道を更に下って行く
“まもる峠の緑の道を、鳥たちのすみかを、
みんなの尾瀬を、人間にとって、
ほんとうに大切なものを “
バイクがあるということは、きっと自転車族もいる筈
・・そういえば こんな鉄人チャリダーもいたっけなぁ
朝早くから採れたての野菜や果物が、生産者の手で次々と運び込まれ
尾瀬の自然美が、思い出されるいい旅でした