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2016.4.9 17:10
岐阜県中津川市には江戸時代五街道の一つ中山道
「木曽路」とも呼ばれ、
参勤交代大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用された

 さぁ・・いよいよ馬籠宿
動画編

タイムライン
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中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、
木曽11宿の一番南の宿場町
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2005年平成17年)2月の山口村の越県合併により
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チョイト場に相応しくないライダーに怪訝そう 
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遊歩道もこの時間は、規制外ですので・・スイマセン 
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両脇には江戸時代を彷彿ささせる家並みが連なります
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ミシュラングリーンガイドブックで一つ星を獲得
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石畳の両側にお土産物屋がならび、
商いをしていない一般の家でも当時の屋号表札
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ほぼ中間地点に、
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本陣であった藤村記念館島崎藤村生家跡
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主人公の青山半蔵が見た美しい恵那山を眺望
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天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、
脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった
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狭い尾根を縦走する中山道両側に石垣を積み上げ、
南西端の勾配の大きい地形を桝形に利用している 
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枡形城郭の枡形を模したもので、
宿場の防衛上設けたのも
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数々の著名な文学者がこの木曽路を旅し、
小説や句として残しています
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正岡子規は明治時代の俳人
木曽路の風景の美しさを詠った句
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馬籠宿の急斜面
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