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写真や動画付きで日記や趣味を徒然に ^^!

2017年11月

前回

2016.8.10
青森県つがる市ライダーズハウス 
 花田ホームの倉庫2F『元気がでる家
  五所川原立佞武多(たちねぷた)のために逗留している輩もいたね
JR五能線 木造駅は、巨大な土偶が、
   駅舎にへばり付いているのにビックリ 
そして小生のリクエストで寄ってくれた・・「鶴の舞橋
 TVのJRCM・吉永小百合と見事な太鼓橋岩木山
  残念・・小百合ちゃんは居なかったけどね  


動画編


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太宰治天下茶屋に逗留・・

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津軽富士見湖(つがるふじみこ)または廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)は、青森県北津軽郡鶴田町に存在するため池である。 2010年(平成22年)3月25日農林水産省ため池百選に選定された[1]
特に堤長は延長4.2 km日本最大の長さである 
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名の由来は、「鶴が舞うごとくに美しい」という意味が込められており、休憩所を鶴の胴体に見立てると、アーチ状の橋梁部が鶴が羽を左右に広げているようにも見えることが特徴である[2] 
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津軽富士見湖には、タンチョウヅルが飼育されている湖畔の丹頂鶴自然公園と、富士見湖パークとを結んでいる「鶴の舞橋」が架かっている[2 
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岩木山津軽富士)の見晴らしが良いために、古くから「津軽富士見湖」の愛称で親しまれる岩木山を水源とする自然流水の貯水池で、青森県下最大の人造湖である。廻堰大溜池は、この貯水池の正式名称である[2]
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湖畔には津軽富士見温泉があり、町で飼育する丹頂鶴も見る事が出来る
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    いゃぁ・・美しい

     増々、青森が、好きになりましたよ 

次回

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2017.11.5
甲州路 台ヶ原宿金精軒 信玄餅や和菓子の美味 
酒蔵七賢」の酒粕をグッと我慢して 
絶景の八ヶ岳エコーラインと立沢大橋 
信州諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」の酒蔵真澄
えぇ・・絞り時期ではないので、販売は無し 
甲州道中山道合流地下諏訪宿へ

動画編


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道路標識が無いので、ノンさんの第六感が、ナビより頼りになります 
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殆ど車が通ることが無いのだろうね 
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流石、ノンさんの動物的な感だね 
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           まるで北海道の三国峠だね

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優良な清酒酵母として現在でも全国の酒蔵で使われている
七号酵母」の発祥蔵 
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発祥の地・諏訪蔵と、八ヶ岳の麓の富士見蔵
真澄はこの二つの酒蔵で造られています 

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下諏訪宿は、諏訪大社下社の門前町として発展したが、甲州道中との追分であったことから旅人、商人などの宿泊も多く大変賑わった宿場 
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甲州街道追分 錦の湯地点で中山道は直角に右に曲がっている
角に脇本陣跡の《まるや》があり、向かいは旅籠だった《桔梗屋》である
直進する道は甲州街道で、この地点が終点である
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難所和田峠塩尻峠の間にあり旅人にとって格好の休憩地だった 
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 宿場の中で甲州街道が分岐する追分でもあり、
  本陣1、脇本陣2、旅籠屋40軒と大きな宿場だった
 
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文化2年(1805)に描かれた「綿の湯」前の情景 

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松尾芭蕉も入湯したという「綿の湯」があった場所の石碑
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ここには問屋場もあり、大変賑わっていた

諏訪大社下社秋宮境内には、龍の口から温泉がこんこんと湧く御神湯がありまた、樹齢700年の《根入りの杉》と呼ばれる夜泣きに霊験ある杉もある
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秋宮社叢に欅の巨木もある
専女の欅》と呼ばれる樹齢1000年の下諏訪町指定の天然記念物である
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一里塚の少し先が宿場入口で800mほど町並みが続いていたとのこと
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歴史民族資料館 桔梗屋から50mほど先に、旅籠屋当時の建物
その先にも街道時代の雰囲気ある建物や湯口が散見される
国道に合流する地点が宿場の出口 

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                 さて・・・ 

前回

2017.9.29
素晴らしい日本の伝統芸術最高峰東照宮
 家康の本地仏を本尊とした鳴き龍で有名な「薬師堂
  日光三山古来「二荒山神社」から「いろは坂
   絶景の「明知平」から「中禅寺湖」へ
  晴天の下、癒しのルートは、気持ちいいw 


動画編


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創建 1636年(寛永13年/江戸前期)
再建年(修繕)2013年(平成25年)
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一重入母屋造 銅瓦葺 寛永の大造替の時に建てられた日光東照宮での
最大規模の建物で「総漆塗極彩色」豊かな華麗な建築物
神仏分離令によって、輪王寺日光東照宮が切り離されてしまい、
輪王寺の管轄になってしまったため寺院としての扱い 
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後世において乱世を終わらせ100年の平和を築いた家康公薬師如来
生まれ変わりとして信じられるようになりました
家康公の姿を具現化させた本地仏「薬師瑠璃光如来」をご本尊に据え、祭祀していることから「薬師堂」もしくは「本地堂」と呼称されています
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残念ながら撮影ができません 
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龍の顔の下で拍子を打つとカーンと音が鳴ったあと音が共鳴し、鈴を転がしているような龍の鳴き声に聞こえるためそう呼ばれているそうです
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拍子を鳴らす場所、顔から離れた場所によっては音が共鳴しなく、
全く鳴かない場合もあります 
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         別名、「鈴鳴龍」とも呼ばれています
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1905年ごろ、天井に住みついた鳩を追い出すために、手を叩いた時に龍が鳴いているような現象が発見されて、「鳴き龍」と広まったと言われています
なお、薬師堂は1961年(昭和36年)に火災によって焼失してしまったため、現在の建物は再建された物です。この時、狩野永真安信によって描かれた龍も焼けてしまったため、現在の鳴き龍は日本画の巨匠・堅山南風によって復元
されたものです

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古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、
御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります
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輪王寺 - Wikipedia
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日光市内に3社鎮座しています
 男体山山頂  ⇒ 奥宮
  中禅寺湖畔  ⇒ 中宮祠
  山内(市内)  ⇒ 御本社

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霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人735年-817年)が
北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に766年(天平神護2年)に
紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる
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二荒山神社の創建は、上人が767年(神護景雲元年)二荒山(男体山)の
神を祭る祠を建てたことに始まるとされる 
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実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、
相当古くから聖地として信仰対象であったことがわかっている 
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1619年元和5年)には、徳川秀忠によって本殿が再建された
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江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有し
今日でも伊勢神宮に次ぐ面積を有している 
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濃霧と小雨の闇は、ヘッドライトとLEDフォグを全灯しても
かなり心細い下りだったことを思い出すねぇ 
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紅葉の時期なると・この様な状態に
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渋滞必至 
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個々のカーブには音に対応する文字板が建てられている
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明智平は標高1,473mに位置し、食事やお土産を買えるドライブインや明智平展望台につながるロープウェイがあります
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明智平の名前の由来は、なんとあの明智光秀が名づけ親だといわれている
昔、山崎の合戦で比叡山に逃げ、「天海僧正」を名乗るようになった明智光秀が、
自分の名前をどこかに残しておきたくて、日光で一番眺めが良いこの地に
明智平」と命名したと伝えられているそうです 
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ここまでは2車線で一方通行ですが、
明智平を過ぎると中禅寺湖まで対面通行 
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開業は1933年・その後一旦は不要不急線として撤去
1950年に復活 かつては東武日光駅から路面電車とケーブルカーで
明智平までアクセス出来たそうな・
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英国大使館別荘記念公園 | 日光自然博物館
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イタリア大使館別荘記念公園
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寺伝によれば784年延暦3年)、日光山の開祖である勝道上人が船で湖を
遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、
桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだ。
この「立木千手観世音菩薩」を本尊として、中禅寺が開かれた
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愛染堂 日光山中禅寺は「愛染かつら」の撮影地 
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歌ヶ浜(うたがはま)は、中禅寺湖の東岸に位置し、
湖越しに「男体山」や「日光白根山」を展望できる湖...
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チョイと小腹が空いているけど先を急ぐことに 





前回

2016.8.9
恐山から海峡ライン仏が浦へ 
津軽海峡に面し下北半島西岸のほぼ中央部に位置する景勝地 
 ~自然が創り出す圧倒的な芸術空間~ 
むつ湾フェリーで、下北半島から
陸奥湾の美しい景観を観ながら津軽半島へ渡る 
懐かしい十三湖から五所川原へ

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日本の秘境 地獄と極楽を表す恐山・仏が浦
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約2000万年ほど前、 日本列島がユーラシア大陸から分離する際に、大規模かつ長期間に渡る海底火山活動が起こり、その火山灰は日本海沿岸各所に堆積して、厚い凝灰岩の層を形成した 
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侵食は今もなお続いており、岩が崩れ落ちる音が聞こえてくるそうな 
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これで一つの岩で形成されている 
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如来の首と呼ばれる岩
ちょうど仏様の横顔のようにも見えると言われる
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その昔 仏ヶ浦に流れ着いたお地蔵様を祀っているお堂
冬の荒波の影響で流されたことがあるそうですが、そのたびに仏ヶ浦に戻ってきたとされる逸話もお持ちのお地蔵様 

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港内はチカ釣りやサビキ釣りの小物が中心。赤灯台、白灯台の両防波堤とも投げ釣りがよく、秋から春はカレイ、初夏から秋はキスを中心に狙える。北側の東屋から防波堤途中まで続くテトラ帯はアイナメソイドンコが濃いので、探り釣りやルアーが良。防波堤のキワを丹念に探る。防波堤先端は時季によりヤリイカも狙える。向かいの白灯台防波堤は夏から秋はクロダイの釣り場。
蟹田川はちょい投げのハゼに、ルアーでスズキヒラメを狙うのも
面白いそうな・

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青森県青森より三厩、小泊を経て五所川原に至る鉄道」で、
  津軽半島馬蹄形に巡る鉄道の一部 
このうち、西側の五所川原駅 - 津軽中里駅間は
1930年に津軽鉄道線として開業している

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ゆっくりお湯につかって津軽の美味に舌鼓 

次回

前回

2017.11.5~6
すっかりも深まり紅葉の便りも多くソワソワしている処に 
ノンさんからの嬉しいツーリングのお誘いが、
今回のテーマは、
1日目、甲州街道中山道宿場巡り
2日目、軽井沢宿横川釜めし碓氷峠:66パーミル‰めがね橋

前回ブログの続きとなりますね


動画編



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台ヶ原宿(だいがはらしゅく)は、甲斐国(甲州、現:山梨県)の北西部、
甲府諏訪を結ぶ甲州街道(甲州道中、現:国道20号旧道)のちょうど中間あたりにあり、江戸日本橋から40番目、4310あまりの距離にあった
宿駅である[1]。江戸時代に甲州街道の宿場として栄え、本陣脇本陣と14軒の旅籠を中心に宿内に総家数153軒が並び、宿泊と逓送[注釈 1]を機能していた[1]明治期以降の鉄道開通や最寄り駅の設置に伴って宿場としての地位を失ったが、現在も当時の旅籠や商家の面影がしのばれる街並みが街道沿いに
kmにわたって残されており、昔から屋号でよばれる家が多い 
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戦国時代織田信長が、武田勝頼を追って甲斐国を侵攻したときにこの地に
宿営したと伝えられている[1]。以前から通じていた古道が慶長6年(1601年)に東海道伝馬制が定められた翌年(1602年)から、他の四街道(中山道・甲州街道・奥州街道日光街道)の宿駅整備が順次行われていった際に、元和4年(1618年)に宿請が申し渡されたことに始まるとされている
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宿場の通りの中ほどにある酒蔵の北原家は、当時の木造建築がそのまま残されてた豪壮な構えの居宅としてよく知られ、1880年明治13年)に明治天皇の巡幸の際に行在所となった史跡の石碑もある[1]
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1986年昭和61年)8月10日に歴史性と親愛性を基準に、
宿場街・台ヶ原宿のたたずまい」として旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」に選ばれている
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山梨県の北西部、北に八ヶ岳、南西に赤石山脈(南アルプス)前衛の主峰で「日本百名山」の甲斐駒ヶ岳などの2000 m超級の山々に挟まれた、八ヶ岳南麓の台地上の高原地帯の南に位置する。北に釜無川、南に甲斐駒ヶ岳を水源とする「名水100選」の尾白川が西から南東方向へと流れ、両河川に挟まれた
河岸段丘の上にある。台ヶ原宿から南に1 kmほどの所に尾白川と釜無川の
合流点があり、対岸の岬には甲斐富士見三景の一つに数えられる名勝花水坂がある[1]

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三つの日本百選に恵まれたこの地で、明治三十五年より本物の和菓子を丹精込めて作り続けて今日に至っております

清酒「七賢」醸造元山梨名醸の酒粕を活用し、カステラ状に焼き上げましたところ、 今までに全く無い味が生まれましたと・
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世界最先端の冷凍システムCSA
細胞蘇生システムとは、水を瞬時に凍らせることで氷晶化を防ぎ、細胞膜を無傷に保つことができるため、凍結しても細胞が破壊されず、解凍後には鮮度が生き生きと蘇る技術を駆使している
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信玄餅は本物のお餅

国産餅米粉は品質が大変優れています。その味と風味を生かすために通称 「求肥(ぎゅうひ)」と言われる日持ち加工をぎりぎりまで抑え、餅米の配合比率に着目しています。そのため鮮度が生命です。やっぱり搗き立てのお餅は格段においしい ごまかしのきかないお米のおいしさ 
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極上生信玄餅 山梨が誇る梨北米を100%使用し、お米のうまさを引き立てる為お砂糖を従来品の半分にしました。 「生」だから工場直売でしか販売しておりませんと・
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毎年9月23日には沿道の荒尾・田中神社で民俗行事の「虎頭の舞」が奉納される。10月中旬〜下旬の週末に、骨董品・クラフト作品や地元産の農作物の市が並ぶ「台ケ原宿市」が開催され、宿場の街道は多くの人出で賑わう
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おぉ・・これ是非 食べたい 
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■水信玄餅はその場で召し上がっていただくお菓子です
水信玄餅は運搬やお日保ちといった
一般的に考慮されるべき販売条件を一切無視して作られております。
 形が崩れてしまう為、車での運搬ができず
常温に晒すと水が染み出し続けて寒天がしぼんでしまいます。
 作ったその日にご来店いただいたお客様にのみお出ししているお菓子なため、お持ち帰りやご予約ができません。と・残念 
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■「水信玄餅」ってどんなお菓子?
金精軒は、名水の里で名高い山梨県北杜市白州町は国産のミネラルウォーター生産量日本一になるほどの採水地になっており、ウィスキー、日本酒の製造がおこなわれているなど、お水の綺麗さ美味しさは指折りの地域です。
   このお水を寒天で固めただけのシンプルな水菓子が水信玄餅ですと・

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    先ずは、絶品スィーツでしたよ  

次回

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11/11(土) 14:00 若竹スポーツ広場
になると 実りのスポーツ食欲読書 等々 彼方此方で、
大小様々な自治体団体に依ってのイベントが催される 
先日の「すぎなみフェスタ2017」は大きなものだったけど
今回は、小さな「やきいもパーティ

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日差したっぷり 自転車でチョイト出かけましたよ 
・・僅かながら 焼き芋の香りが、漂っているね
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モウ 沢山のカンカンが、焚火の中で、黒々となっている 
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さすがに傍にいると暑いです 
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お世話している方々は、手慣れた様子で、手際がいいです 
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お芋1本1本が、カンの中で、立てられているんだね 
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大きなサツマイモには、銀紙2重巻きで、その間には、新聞紙が、
 かなりの工夫経験が、活かされているようです 
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簡単そうに見えるけどね 

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沢山の子供たちが、お母さんと遊びながら待っているね 

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配布が、始まりましたよ 
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彼方此方で、ホクホク焼き芋をほおばる子供たちの姿が、イイねぇ 
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子供たちの笑顔が、ホットする瞬間ですね 
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開催する規模は違っても運営する方々は、大変です 
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家内の手造りケーキと共に

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2017.10
どうも近頃10年のGOLFは、手抜きサボり過ぎだ!

純粋にプレーを楽しむことより偏ったコミニュ・ケーション
(お付き合い)や 四季の移り変わりを愛でながら 
場内を散策し夫婦で、ゆったりノンビリと回ることが多い 
 スコアーに拘りなく練習など特別することは、久しく無い 
カードの提出もせずツルベ落としのHCの恥ずかしさも薄らいでいる
面倒クサさもあって昨年などは、僅3Rだったね
 百獣の王(110)・・と異名をとってもだ   
楽しく愉快も必要で、イイが、いつまでもヘラヘラとしている始末 
 ここらで、再起を目指し 鞭打たねば 
   反省の意味を込めてミスボラシイ己が姿を晒し
奮起を促すキッカケにと記録することにしたのでした 

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・そんな気持ちで、いそいそ出かけてみました 
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ホぉ・・今日は、シニア選手権の予選があるんだ
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・・直ぐ飽きてしまう イカンネェ 

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また、ゆっくり散策かな・・
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さて・6月ぶりの町田会 今年2度目のラウンドだ
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女性も多く和やかで、和気あいあい 
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どうもカート癖が付いてしまいセルフが、楽々 
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何と緩みぱなしの締まりのないスイング 

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何処へ飛んでも 思いっきりスイング・・イイねぇ羨ましい 
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日頃、鍛錬を欠かさない方は、流石です 
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後ろの組と談笑 どこまで飛んだの・・谷か OB??
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此れがいけないのか・ヤッパリ甘いものには、目が無いのです 
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正に今、伸び盛りの・
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引き換え・・なでるようなショットで、やっとフェァウェに辿り着く
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フィニッシュも決まっているねぇ   羨ましい 
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アイアンのコントロールも自在に見えるね 
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あぁぁ・何処へ行くのか・・ボールに聞いてくれの小生 
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午後からも・GOLFの基本は、なんといっても礼節 
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おぉお・・折角、ナイスショットと思っても・・
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まぁ帰りには・・やけ食いといった所かなぁ 
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ようぉし・・今日は、シッカリ練習するぞぉ 
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ドライビングレンジ
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バンカー
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アプローチ
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2Rは、歩いてプレーが出来るようになりたい 
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パターグリーンでも1時間程
      風呂に浸かって心地よい・・
              いや バテバテ  

今週末も練習にと思っていたけど・・
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雨は、やらない町田会 良く晴れました 
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あれれ・1ヵ所 がけ崩れの被害が、
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幾らかましなスコアーも隠しホールにハマらず・残念  
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毎回、異なるクラブセットを試しているが、こんなこともあるんだね 
練習場でアイアンのヘッドが、飛んで行ったり 
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ドライバーのソールが、凹んだり 
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まぁ・・それぞれの道具類も当人も劣化してますからね 
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今の状況では、道具に頼る事も無いほど酷いので、
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足は痛いし・肩は、張っているし腰は、カッタルイし 

   寒い時期に
     シッカリと鍛錬していきたいと思っています 

PS:今日、決勝の男子ゴルフ/三井住友VISA太平洋マスターズ
   2011年、友人たちと観戦に行って アマチュアだった
   松山英樹が、優勝し「凄いのが出てきたぞ」と驚嘆した
   覚えがあります。
   その日、今、不調の石川 遼が、ホールインワンを目の前で
   達成した‥そんなことを思い出す今日この頃です 

     
次回
立春は過ぎたけどね ⛳

前回

2017.9.29
爛豪華極彩色陽明門をくぐり内宮へ 
唐門は、対照的に貝殻をすりつぶした故粉で塗られた繊細な小さな門
本社の正面で正面3m側面2m正面の扉は唐木寄木細工両開桟唐戸
江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣大名
祭典と国賓相当の参拝者にしか 許されなかった   


動画編


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豪華絢爛の陽明門
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神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、
三基の神輿(みこし)が納められています

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寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、
銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対
黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する徳川家康(中央)、豊臣秀吉(左)、源頼朝(右)
を祭った神輿が安置されています
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往時の神輿は1トン以上あり担ぐ事が困難になった為、昭和40年に800キロの神輿が新調され、例祭である「千人武者行列」は元和3年:1617年、久能山から日光に徳川家康の御霊を遷す際行なわれた行列を模したもの

天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて、
 神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうです 
 天女の天井画として日本一の美人画とされ、鳴き龍は「天女のささやき
 とも言われています 

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透塀【すきべい】
唐門から左右に延びて本社を囲む透塀 全長160メートル 北側(本社の背後)の中央には、北唐門(背面唐門)、また、西側には、通称西唐門と呼ばれる潜り門があります
両下造、石垣の上に石造の土台を据え、柱は角柱で、黒漆塗 長押の表面には亀甲花菱紋を、金箔地に密陀彩色で描き、胴羽目には花狭間格子を設け、
格子は金箔地、透し彫の 花弁の表面は緑青、内側を朱塗 
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彫刻総数260、腰羽目は、波に数種類の水鳥と水草、欄間は、山野の植物と
鳥類がテーマで、花鳥の彫刻の宝庫です 
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日光東照宮・唐門は、日光東照宮の唐門は本殿を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風造りの屋根」が備え付けられていることから
四方唐破風造」と呼称されます
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唐破風の大きな特徴として、弓なりのアーチ型の屋根の形状が特徴 
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創建年 1617年(元和3年/江戸時代前期)
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昇龍降龍以外にも寄木造りの龍が存在しており、この龍は屋根上の棟の部分の左右両端に備え付けられています さらに 両端の龍の間の破風の頂には
恙(つつが)」と呼称される「唐獅子」が備え付けられています
龍は昼を守護する霊獣」で「恙は夜を守護する霊獣」 

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正月元日に舜帝に会いに大勢の役人たちが拝謁する様子
舜帝の「舜(しゅん)とは、中国の紀元前403年・春秋時代の空想上の人物であり、貧しい家庭に育った人物
舜は、親孝行者で慈悲深い性格を併せ持ち、多くの人々や民衆から慕われ、
最終的には推薦される形で君主にまでなった人物です 
舜帝が治めた国は舜が崩御するまでの間、繁栄を極め続けたそうです
家康はそんな舜帝を敬愛し、自らの子どもや家臣たちにも模範とすべき姿として説き聞かせたと云われております 

陽明門と比べると見劣りする印象を受けますが、実はこの唐門に施されている彫刻の数はなんと!611 うち人物が6体で64人もあり、
この数は陽明門を上回る数で、陽明門:508体です 

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七福神」「八仙人」「竹林の七賢人」などの彫刻も彫られています

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唐門の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍降龍の彫刻
この龍は別木による寄木造りで造立されており、別木の種類としては
黒壇(こくたん)」や「紫壇(したん)」が使用されています
尚、龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、
屋根上の龍はヒレが切られた龍になります 
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屋根上正面の「恙(つつが)」
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本殿外陣(幣殿)」「内陣」「内々陣の三室に分かれています
もちろん、昇殿はしましたが、入室は出来ません
神職の方でさえ、祭典御煤払の奉仕のとき以外は入れないそうで、
外陣の天井は格天井で、122の格間には鳳凰が描かれています
内陣は、最奥の内々陣をコの字型に囲んでいて欄間などの彫刻は、すべて花鳥を主題としたものですが、特に内々陣側は、鷹の彫刻が施されて内々陣の内部には、御空殿と呼ばれる神座がありますが、この御空殿こそ、
東照宮の中で最高の建築だそうです 
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千木・勝男木をのせた本殿の屋根は、老杉の間に秀麗な曲線 
言わず語らず深秘の御殿


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祈祷殿(きとうでん)【重文】
結婚式や初宮などのご祈祷が行われます
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眠り猫(ねむりねこ)【国宝】
左甚五郎作と伝えられ牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしている
ところから「日光」に因んで彫られたとも言われています
これより奥宮に通じます

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次回

前回


    生命の言葉  平成二十九年十一月

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初めて出かけましたよ 
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動画編


タイムライン
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明日もあるけど 紅葉の甲州路へ宿場巡りのツーリングなので、
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       桃井原っぱ公園(杉並区桃井3丁目8番1号)

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連携イベント会場
杉並会館(杉並区上荻3丁目29番5号
杉並アニメーションミュージアム

西荻地域区民センター・勤労福祉会館
なよろ市立天文台きたすばる」からプラネタリウムがやってくる
オリパラソルをつくろう「かるた」でつなぐ人と世界

色々・多彩なんですけど 取り敢えず
桃井原っぱ公園
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杉並新鮮野菜おいしいもの楽しいもの・び・スポーツのコーナーなど、杉並の「良さ」「魅力」「らしさ」が盛りだくさんです・・と
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区内店舗のおいしいものエリアや、交流自治体等物産展ともにがんばろう
東北・九州、パン祭り&スイーツフェアなど、おいしいものが勢ぞろい
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      炭火焼きさんまを、各日1,000本来場者に無料配布
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         杉並区内のパン屋さん・スイーツ店21店舗
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               全国の特産品が集結
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杉並区の8つの交流自治体(北海道名寄市、群馬県東吾妻町、福島県北塩原村、新潟県小千谷市、東京都青梅市、福島県南相馬市、山梨県忍野村、静岡県南伊豆町)のほか、北海道上川町村会、静岡県御殿場市と岩手県、宮城県、福島県、熊本県の特産品が集まります

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      移動式天文台車「ポラリス2号」で秋の天体観測


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瞬き禁止!笑いと感動とサプライズ」で賑わせる
高円寺びっくり大道芸」のパフォーマー 
森田智博(ジャグリング)&チクリーノ(マイム・コメディ)
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すぎなみ産業フェア
区内企業がテント出展し、優れた杉並産の技術や魅力的な製品を紹介します。
杉並の産業、杉並の企業の魅力を紹介する冊子『すぎなみ産』の創刊号を配布します。知らなかった杉並の魅力をまたひとつ発見できるかもしれません
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東京都パラリンピック体験プログラム
NO LIMITS CHALLENGE(ノーリミッツチャレンジ)」&ビーチバレー他 
テコンドー・アーチェリー などのブースもあります
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地元の事を知るいい機会ですね

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今週末は、焼き芋を・・


前回

2017.5.29
三平峠を越えると景観は、一変する 
 辺り一面にあった残雪は、消え 鬱蒼とした新緑の世界 
  多数のが、雪解けを集めて急流の片品川
尾瀬かもしか村で、絶品山菜の天ぷらと手打ち蕎麦 
  土産が、尾瀬の壮観を甦えさせる 


動画編


タイムライン
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別名:尾瀬峠
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利根川水系と阿賀野川水系の分水嶺で、峠付近に、尾瀬沼から片品川水系への発電用地下導水路があるそうな 
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群馬県の沼田市から、尾瀬沼を通って福島県の会津若松へ至る道は、
群馬側からは会津街道、福島側からは沼田街道と呼ばれ、
その昔会津上州を結ぶ交易路とされていました 
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交易が盛んに行われていたのは、徳川時代のことで、
初代沼田城主真田信幸戸倉に関所を設けたのち、路の整備を行ったとされています。交易された物資は、会津側からは米や酒上州側からは油や塩・
日用雑貨などで、尾瀬沼のほとりの三平下のあたりで中継されていました。

また、幕末の戊辰戦争(1868年)の際には会津軍と征東軍が会戦しますが、最後まで抵抗した会津軍は、沼田街道を通って征東軍が侵攻してくることに備え、大江湿原防塁を築きました。その名残りが現在でも大江湿原に
馬蹄型として見られますが、結局は会津軍は尾瀬を越え戸倉で交戦になったため、この防塁が使われることはありませんでした 

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針葉樹から広葉樹へと標高が、低くなるのが分かる頃 「岩清水
この湧き水で口を潤し、熱った顔を冷やしながら、休憩 
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地元では一杯清水と呼んでいるようで、命の湧き水
さぁ「十二曲がり」とも呼ばれる登山道を更に下って行く 

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 “まもる峠の緑の道を、鳥たちのすみかを、         
       みんなの尾瀬を、人間にとって、            
            ほんとうに大切なものを   “

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バイクがあるということは、きっと自転車族もいる筈
・・そういえば こんな鉄人チャリダーもいたっけなぁ 

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朝早くから採れたての野菜果物が、生産者の手で次々と運び込まれ
豊かな大地から生まれた・店内にはみずみずしい香りがあふれます
農産物等直売所「座・白沢」は、「望郷の湯」の目の前 
野菜や果物のほかに、蜂蜜ジュースなどの特産物民芸品も・・
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 土産物を味わいながら
 
  尾瀬の自然美が、思い出されるいい旅でした 

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