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2017.11.5
まぁ・・旧街道見物していると
 色々と不可解なものを観ることが出来るね 
旧中山道の中でも3峠に閉ざされた長久保宿
 茂田井間の宿芦田宿と自然な侭の旧街道が、

  こんな日本の原風景が、イイんだなぁ 

動画編


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中山道六十九次のうち江戸から数えて27番目宿場
元々は長窪宿と表記していた・
 久しく保つの意味の「久保」に縁起をかついだらしい 
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難所に挟まれた宿場だったので、比較的大きな宿場
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宿場の発展と共に町並みが横丁の先に広がり、
 カギ型に曲がった珍しい形の宿場町 
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信濃諸藩では、「信濃全国通用銭札」を発行し、また主要な街道の宿場では
宿場札を発行し対処した。特に中山道では多く発行されたが、長久保宿では
明治2年10月まで使用された「縮限通貨」を六百二十四分、百分、四十八分、二十四分の4種類を発行し利用した 
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長久保城祉に上る道案内があり、石仏めぐり
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旧中山道は斜め斜面に道があった」と表示されている(標高900m)
  雁取峠とも呼ばれた
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松並木小諸藩が幕府から下付された七百五十三本の松を領民とともに峠道
約十五町(約1.6km)にわたって植樹した
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安藤広重中山道六拾九次の「 長久保宿 」「 芦田宿 」「望月

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銀明水金明水という立て札があったが、水は出ていない 

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中山道26番目の芦田宿は、芦田(依田)氏の浪人、岩間忠助と土屋右京野左衛門が、神官今井曽五郎とともに、慶長二年(1597年)に蓼科神社に納めた文書(願文)により、新駅の設立を願い出たことが伺えます 
このことから北佐久地域では最古の宿場とも云われています
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南縁には蓼科山八子ヶ峰がそびえ、
 白樺湖女神湖蓼科牧場などの観光地がある
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かつての 旅籠等も残されて  昔の町並みの面影が いたる所にある 
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ノンさんお気に入りのモニュメント 
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既に廃業されているのに屋号代わりに吊るされた大きな下駄に(゚Д゚;)

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間の宿も整っていて素晴らしい 茂田井 

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茂田井村は「間の宿」と呼ばれ、旅籠を持たない休息処
これは幕府による本宿保護のために出した禁令によって、
本宿以外での宿泊を取り締まったためです 

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澄んだ水が流れる用水路に沿って続くイメージ 30
白壁の堂々たる構えの造り酒屋が2軒
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    坂に沿って 江戸時代の面影の残るいい旧街道だ

         さて 朝廷の牧場・・とは? 


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