前回
20173.29~31
前回の河津桜は、1週間から10日 満開を過ぎてしまい
・・今ひとつの状況だった
そんなこともあり今回は、昨年より2週間早く出かけたのだが、、
動画編
タイムライン
9:30・・何処かで見たような イベントに行く途中だとか
ケニー佐川 さん
由比本陣公園
由比城主由比助四郎光教が桶狭間の合戦で、主君今川義元に殉じて討死してから、江戸時代その子権蔵光広が帰農しこの屋敷に住し、代々岩辺郷衛門を襲名し本陣職・問屋職をつとめ、近郷、きっての名家として大名的な存在であった
正雪紺屋(由比正雪生家)
由比正雪は駿河由比の紺屋弥右衛門の子として生まれ,楠木流の兵書を学んだ江戸初期の兵学者。由比正雪の生家といわれる紺屋(染物屋)で、染物道具や神棚などの道具や仕事場がそのまま残されています
「慶安事件」の首謀者として知られ、その企ては事前に発覚したため、
自刃している
由比駅
由比宿は「由井、油尹、湯居」などとも書かれたので、
表記の名称の統一がなされた。桜えび通
越後の「親知らず」と同様な狭隘な土地に東海道本線や国道1号も通っている
「桜えび」と富士山絶景の場所「薩埵峠」で知られる地で、漁業と観光の町である
古い集落の残る旧道を行くと、右手に「間宿」の脇本陣だった「小池家」
大戸、くぐり戸、格子造り、なまこ壁などに江戸時代の面影が残る
★「藤屋」
「望嶽亭」と呼ばれた有名な茶屋で、多くの文人墨客で賑わった。
「望嶽亭」と呼ばれた有名な茶屋で、多くの文人墨客で賑わった。
明治元年3月7日山岡鉄舟が官軍に追われ、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装、
隠し、階段より脱出し、当時最新式フランス製十連発のピストルを残して
行ったとエピソードが残る。店の前に一里塚跡もある
旧道の外れに右脇への急坂が、壁の様に現れる
★薩埵峠登口
峠を越える道は上道・中道・下道の3通りあった。
峠を越える道は上道・中道・下道の3通りあった。
下道は、この一里塚を左折し海岸に出て、波の合間を利用して、波打ち際の
岩の間や浅瀬を通る道は、まさに親知らず子知らずの難所であった。
それで作られたのが中道、上道は、一番最後で、現在では消失している。
★薩埵峠山之神遺跡
昔山の神が祀られていた所。眺めのいい所で海の向こうは伊豆半島
昔山の神が祀られていた所。眺めのいい所で海の向こうは伊豆半島
★薩埵峠の展望
ここが安藤広重が浮世絵に描いたと思われる。東海道五十三次・由井宿の場面。
ここが安藤広重が浮世絵に描いたと思われる。東海道五十三次・由井宿の場面。
東名高速道路とJR東海道線は、ここから薩埵峠のトンネルに入るところで、、
天気がいいと一番奥には富士山が見えるが今日は見えないねぇ
2013/5/17は、いくらか見えたけど・・
この先に展望デッキがあるけど・・止めた
★薩埵峠碑
畑を手入れしている旦那に話を聞くと(前回は、お母さんだったけど)
糖度:12もある、甘いポンカンだよと
次回
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